南房総-まるい鮮魚店-干物と鮮魚の通販・産地直送販売:千葉県館山市船形漁港
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船形の漁業の発展について
現在の船形漁港
 弁財天様のおかげで漁師さんも安心・安全に漁(仕事)ができ、私達魚屋も本当に感謝しております。
 さて、それでは昔から漁業の町として知られている船形は、いつごろから盛んになって来たのでしょうか・・・・・

 徳川家康が江戸に幕府を開いてより・・・
 江戸の人口は急増し、近隣の農村や漁村は、その台所をまかなうために生活活動が盛んになり、房州や相州の各浦からは押送り船をしたてて、野菜・魚・薪などを江戸に運搬するようになりました。
 房州の漁業は、江戸時代初期までは非常に原始的な方法で行われていて、これが本格的に発達するのは関西の漁民が房州に入って来てからのことです。
 天津の四宮家には、江戸時代初期、摂州(兵庫県)より房州船形に来て、魚商売で成功をおさめた西宮四郎左ヱ門に関する文書も残っています。

 船形の漁業は、江戸時代初期は鰯を中心とした漁業でしたが、砂浜が狭く鰯を干す場所が少なかったため発達しませんでした。そのため、鯨漁や西岬・那古浜の請負の漁業をしたりしていました。

現在の水揚げのようす  江戸時代中期の資料、船形漁業明細帳によると、1800年頃になって急に漁業が盛んになって来たことが分かります。寛政五年から文化五年まで、約15年の間に押送り船、漁船ともに急増しています。
 これは、文化年間に関西から、小晒(こざらし)・たこ瓶・かつお・出し網など、種々の新しい漁法が館山湾の各浦に伝わったことによります。また、岡の地主や網元など資本のあるものは、押送り船業を始め、船形ばかりか近隣の浦の生魚運搬を引き受けるようになりました。

 館山湾の漁業が盛んになるにつれ、漁区の境の争いや、新旧の漁具を使う漁師の争いなど、いろいろな問題も起こるようになりました。船形の漁師は、漁区が狭いので対岸の西岬の浜の「あわび」の採取や、たこ漁の請負い、那古浜の地引きの請負いなど他村の漁区で漁をすることが多くなりました。

【参考文献】「船形史考」 著:石渡 進  監修:山岡俊明・松本 久・黒川邦保


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